■古九谷
古九谷とは九谷焼でもっとも最初に焼かれた時代の作品のことである。そして九谷の地で最初にできた窯が古九谷窯(あるいは九谷古窯)である。
古九谷の歴史については、「古九谷の歴史」について読んでいただくことにして、ここでは簡単に古九谷についてふれることにしようと思う。
*古九谷にもいろいろな説があり、古九谷はその出土品や文献などから九谷の地方で焼かれたものとする説が多い中、伊万里で発掘された中に古九谷風のものが見つかったことから古伊万里の一作風とする説もある。そのため古九谷がどこでられていたかについての論議はいまだはっきりとした決着がついていない。
■古九谷窯跡を訪れる理由
山奥深くの・・・とは聞いていたが、「九谷焼がどんなところで焼かれていたのか」実際に見たことがない。ちょっと思い立って行ってみようということになった。
古九谷窯といっても窯の跡地のみで、現存する施設などは一切ない。昔登り窯があった斜面に石碑がひとつ立っているだけのもの。
ただこの地を訪れる人は、古九谷の絵付師が生活した豊かな自然環境を体いっぱいに感じ、数多くの名品が作られた古九谷の地が有するエネルギーが腹の底に伝わってくるのでしょう。
■古九谷窯跡までの道
山中町、古九谷跡周辺地図(Yahoo!
Maps)
石川県加賀地方でも福井県に近いところを、小松より山中温泉を抜けて福井の丸岡にむかって県道357を進み、途中ダムを渡る橋のところで川に沿ってそのまま上っていく。「九谷」という字が道路に書かれているほうにすすむのだ。古九谷窯跡までは、山中温泉から約20分くらいか。
右手にダムが広がるその道は狭く、昔の道路を思い出させる。ところどころ広く2車線になっているところもあったが、くねくねした山道でカーブで向かってくる車がわかりにくい。
ダムにかかる大きな朱色をしたつり橋や駐車スペースがところどころみられて、ハイキングトレイルの登山口となっているようだ。
そのまま進むと、橋の両側のところどころに30-40cmくらいの大きさの皿(鉢)が埋め込まれている橋に差し掛かる。古九谷の絵付にみられる代表的な作品だ。なんだか古九谷世界の雰囲気が急に高まったかのように思われた。
■九谷焼創始者 後藤才次郎の石碑
この橋を渡ってすぐ、大きな石碑が右手に見えた。これが九谷焼の創始者といわれる後藤才次郎の記念碑だ。大きな岩に「九谷焼始祖 後藤才次郎紀功碑 正五位勲四等**嘉平書」と彫りこまれている。立派な大きな石碑だ。それに生えるコケが、この地方のじめじめした気候を物語っているようだ。